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2005/03/23

実践的な教員養成

先日、こんな事件の記事を目にした。

「小2児童の私語に怒った教員が、切れてパイプ椅子を
投げつけた」というもの。おしゃべりをしていた児童にも
非はあるだろうが、椅子を投げつけられたなんて、いくら
なんでもあんまりだろう。

また、改めて思ったのが、「公立校だとこうやって
ニュースになるのに、私立校だとニュースにならない」と
いうこと。私立校の問題教員がニュースになるとしたら、
罪を犯して逮捕された時くらい(このことはまた機会を
改めて詳しく書きたい)。

私の知る範囲でも、若い男性教員が生徒たちに切れて、
物を投げつけた、という話を聞いたことがある。

この話を私に言ってきたのは、物を投げつけられたのと、
同学年の他の生徒。こんな会話の糸口から、衝撃の
事実を知ることとなった。

「先生、○○先生って職員室ではどんな感じ?」
「え、どんな感じって…別に変わったところはないと
思うけれど。何かあったの?」
「うん、他のクラスで、切れて机投げたって聞いたの。」
「えっ?!机!!」

「そう。で、大騒ぎになって、校長先生に怒られたって。」
「ふぅん…そうなの。□□さんたちの学年とはうまく行って
ないのかな。」
「うん、嫌ってる人多いと思う。授業、わけわかんないん
だもん!」
「まだ大学出て間もないからね。」
「でも、ひどすぎだと思うよ。」

私がその場面を見ていないので、投げた、と断定は
できない。そもそも、机を投げるなんて、まるで彼は
プロレスラー?!もしかしたら、「椅子を激しく蹴倒した」のが、
話が大きくなって、「机を投げた」、ということになって
いるのかもしれない。この手の話は、得てして、
尾ひれが付いて大きくなりやすい。

この若手教員は、生徒にからかわれるとすぐカッと
なるため、1年目で配属された学年とうまく行かず、
翌年は別学年の担当になった。そこで起こったこと
だったようだ。

生徒たちもかなりきついことを言ったのだとは思う。
しかし、それにしても、机を蹴倒すとか投げるとは、
いったいどんな切れっぷりだったのか、想像する
だけでも恐ろしい。私が生徒だったら、そんな教員の
授業は、怖くてその後受けられなくなるかもしれない。

生徒から見れば、そんな教員は日常でも切れまくって
いると思うのだろう。それが私への質問の切り出し方に
表れていた。

もちろん、何かにつけてすぐに大声を出す教員もいる。
しかし、そういう人ばかりでもない。借りてきた猫の
ように普段はおとなしくて、内にエネルギーをためて
いるのに、何かのきっかけで豹変してエネルギーが
わっと出るタイプの人もいる。この教員はまさにその
タイプだった。

また、今までの人生経験で、他人からからかわれる
ようなことがなかった人だと、生徒にとってはたわいない
ことでも、それが理解できずにカッとなるのかもしれない。

こういう人がいるのは仕方ないのかもしれないが、
日本の教員養成のシステムは本当に実践的では
ない。「人前に立ったときの話し方」、「感情の
コントロールの仕方、叱り方」など、もっとどんどん
レクチャーされるべきである。少なくとも私はそう
いったことを、1度も大学の教員養成課程で習った
覚えがない。

私はそういったものに関して、大学1年時から
アルバイトをしていた塾で多くの経験を得た。
その経験がなければ、今、教壇になど絶対立て
なかったと思う。

ちなみ「机事件」の教員は、翌年持ち上がることは
なく、「留年」して、1学年下の子たちを受け持った。
基本的には同じ学習内容や行事の繰り返しになる
から、この指導過程で改善の見込みがなければ、
もはや雇うことはできなくなる、という意味だったのだろう。
(ただ、さすがに彼も自省したのか、その後は大きな
トラブルの話を耳にしていない)

今は、大学生の就職指導を実践的にしているところが
増えている。しかし、教員志望の者は、最初から
「目指せ、教員一直線!!」だったりするので、一般的な
就職活動の講座を受けないことも多い。

民間企業に就職する人は、今の時代に対応した
実践的な訓練をしているのに、教員になる者は、
新しい訓練を積んでいなくて良いのだろうか。決して
そんなことはないだろう。

まずは、人前での効果的な話し方、叱り方が
できるようになること。私は、今までの人生経験で、
モデルにしたい複数の先生の姿を思い浮かべ、
自分なりのスタイルを作ってきた。まだまだ開発の
余地はあるのだが、このような独創性のない人は、
没個性で、よくわからない授業をしてしまいがちで、
とても危険。

そして、ADHD、LDなどの学習障害に関して、
正しい知識を学ぶことも重要。今はそのような
子どもが多くいる、と言われるが、実は正しい
判断基準を知らないで、よく立ち歩く子どもを
見ると、「ADHD」と言っている人もいるのではない
だろうか(これは昨年4/25のメルマガでも
指摘済)。

また、他人により良い印象を与えることも大切。
保護者や生徒に信頼されるためには、「スーツ
さえ着ていれば安心」というものでもないだろう。
私は以前、カラーコーディネイトの基礎講座に
出たことがあるが、自分に似合う色の見つけ方
など、とても参考になる内容だった。

ファッションショーをしなさい、と言うつもりは毛頭
ないが、第一印象で「うわー、ひどいセンス!」と
思われてしまうと、それを拭い去るのは大変。
今の子どもはそういうところも、「信頼して話が
できるかどうか」という判断材料にしている気がする。

大学の教員養成課程では、授業方法などの実践的な
ことが行なわれるのはごくわずか。あとは、教育の
歴史などの講義をただひたすら受ける。それらも
重要だろうが、プラスα、授業をするために必要な
資質を養っていくことはもっと大切ではないだろうか。

大学の主な教授陣は、通例50代以上。70歳近い方も
いる。この方々の若かりし頃の教員像と、今の教員像には
とてつもない隔たりがある。また、教員養成課程で
授業をしていても、実際に高校までの教壇に立った
ことのない方もいる。

僭越ではあるが、今の時代にあった教員養成の方法を
実行させていただける機会に恵まれれば、こういった
ことをしたいと思っている。

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コメント

お邪魔します。
恋い太郎といいます。

今日卒園式、4月から小学校へ子どもが行きます。
・・・不安・・・

社会システムと教員養成システムで創造された
「先生」とまた、生活・地域のシステムと「あこがれ」のベクトルでなった「先生」とでは、
生活の中で無意識に「訓練」された対人、対集団への五感と言うか身体感覚と言うか暗黙知と言うかでのアプローチレベルが成熟度が違うのでは?

瞬間・瞬間での対応力・柔軟性。問題と課題の
分析力・解決力・・。

そして、「不安」、答えの導けない「不安」、先生も苦しんでいるんでは?

「不安」の解消法は?でも、自分の存在を確認できる他者の存在があれば、・・・どうなんでしょう?

投稿: 恋い太郎 | 2005/03/24 07:58

恋い太郎さん、コメントありがとう
ございます。
そして、お子さんの卒園と新入学、
おめでとうございます。m(__)m

>生活の中で無意識に「訓練」された
>対人、対集団への五感と言うか
>身体感覚と言うか暗黙知と言うかでの
>アプローチレベルが成熟度が違うのでは?

そういう点もあるかもしれません。
でも、どういう過程で教員になったと
しても、最終的にはその人がもともと
有し、また、人生経験で積んできた
感性の相違が、教員としての差を
生むと思うのです。あこがれから
教員になった人は全て力があるか、とも
言い切れないのではないでしょうか。

ところで、「不安」とありますが、
失礼ながら、お子さんの進学予定の
学校に不安をお持ちですか。

申し上げるまでもないことかも
しれませんが、親御さんが不安を
顔に出すと、お子さんも不安に
なります。

親御さんが疑問点をお持ちなら、
教育委員会なり学校なりに確認
して、笑ってお子さんを送り出して
あげて下さい。

投稿: つきのみどり | 2005/03/24 22:54

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