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2005/05/15

「自己チュウママ」

現在発売中の「家庭画報」に、女優の香山美子さんの
インタビューが出ていた。

今年になって、還暦前後の年齢の女優のインタビューを
載せ、今までの人生とこれからを語っているコーナーが
できた。倍賞千恵子さんも以前出ていらした記憶がある。

香山さんは、大ケガからリハビリを経て復活された話、
夫ぎみの三条正人さんや、大学生のご子息のお話
などを語っていたが、その中で非常に私が衝撃を
受けたのが、次のような内容(要旨)。

「私、息子を40過ぎて授かったんです。だから、子育て
では、それまでの人生の価値観と違う大事なことを
多く学びました。特に、子どもはこちらの都合どおりに
動かないということです。今、世間ではお母さん方が
いろいろ事件を起こすけれども、それは、”自己チュウ
ママ”だからではないのでしょうか」

私のような者が書くのは僭越だが、子どもは大人の
思惑通りに育っていくはずもない。小さいことで言えば、
「仕事が忙しい時に限って熱を出す」と、第一線で
バリバリに働くお母さん方が嘆いているし、大きな
ことで言えば、「末は博士か大臣か」と思っても、
なかなかその通りにいくはずもない。

でも、今、あちこちで「自己チュウパパ・ママ」を目にする。
強烈に私が覚えているのが、稲垣潤一さんの20周年
ライブの時のこと。STB139で4日間に渡って、メニューを
変えて行なわれたのだが、私が行ったのは「ドラム・
ナイト」。ドラマーとしての稲垣さんにスポットを当てた、
ファンとして待ち焦がれていた一夜で、内容ももちろん
素晴らしかった。

しかし、ライブと同じくらいに鮮烈に覚えていることが
ある。この日、開場を待って列に並んでいる時、私の
背後では2人連れの女性がこんな会話を交わしていた。

「私、子どもたちにね、カレー作って置いてきたの。
あなたは?」
「えっ…だって、私が出かける時に、うちのだんなは
私のご飯のことなんて心配してくれないよ。だから、
今日だって、だんなのご飯なんて用意してこないし、
子どもたちのだって用意してないよ」
「……えっ?!」
「うちのだんなのご飯の心配をする責任なんて私には
ないんだし、子どもにだって同じだよ。その辺の
コンビニでなんか買えばいいんじゃないの」
「…へぇーっ……」

この会話を聞いていて、私は思わず後ろを振り返り、
「それでもあなたは親ですか?!」と叫びたい気持ちに
なった。夫のご飯を心配する責任はない、と言うが、
夫婦間で自分の方が家事の負担が多ければ、
それは妻の責任になるのではないだろうか。
(これはもちろんその家庭で異なることではあるが)

そして、子どもに関しては、両親が揃っているのなら、
共に責任を果たさねばならないだろう。まして、会話
から判断できる限り、子どもはまだ小学生のよう
だった。それで「私が子どもの食事の心配をする
責任はない」なんて、どうして言えるのだろうか。
お手伝いさんでも雇っているのなら話は別だけれども。

コンビニに行けば確かにおなかを満たすものは買える
かもしれないが、幼ければ、栄養バランスを考えて
買うことなど難しいだろう。何より私が腹立たしかった
のは、この母親は、仕事や急な身内の不幸などで、
突如外出が決まったわけではなく、何ヶ月も前から
チケットを買ってあり、おいしい食事をして、ライブを
楽しむことがわかっていた、ということ。母親が
楽しんでいるのに、子どもは「勝手にしなさい」と
言われている。こんなひどい話があるのだろうか。
せめて出前の注文でもしておいてから、出かける
ことだってできただろうに、と思う。

それから、角松敏生さんの20周年ライブの時のこと。
11月だったためか、七五三の帰りのような、ピンクの
ワンピースでおめかしをした幼な子を連れた人を
見かけた。でも、まだ小さく、ライブも長かったので、
ライブの最後の方では「帰りたいよ~」と、わんわん
大声で泣いていた。

七五三、というのであれば、子どもが主役のはず。
その子どものお祝いをそっちのけにして、ライブに
来ていたのだろうか。大人の都合だけ考えれば、
「お昼に七五三をして、夕方からライブ」となるの
かもしれないが、一日出かけていて、しかも最後は
自分の興味のない用事なのだから、子どもは疲れ
きってしまうだろう。せめて七五三とライブは、別の
日に設定すべきだったのではないだろうか。
泣き声を聞いていて、とてもかわいそうな気持ちに
なった。

また、ライブ以外にも、学校で子どもが不登校に
なった時など、「もう大きいのだから、自分で
行けるようになるまで放っておいて下さい」という
親にも出くわすことがある。でも、不登校になる、
ということは、自分では解決できなくて閉じこもって
しまっている、という証。ほったらかしても、決して
子どもは学校に元通りに通うようにはなれない。
これも、自分で積極的に関わりたくない、という、
親の一種の逃げではないのだろうか。

そうかと思えば、先月の「朝日新聞」東京版、
校長日記では恐ろしい話が紹介されていた。
民間から登用された方の日記なのだが、他校で
「学校でうちの子どもには”いただきます”を言わせ
ないでくれ」という苦情がきた話を書いている。
その理由が「お金を払っているから、言う必要が
ない」というのだから、なんという履き違えだと
背筋が寒くなる。

また、かつての私の同級生で、早くに出産した
子に、「ファミコンとかゲームって、1日何分、って
ルール決めてるの」と聞いたら、「パパが我慢
できないから、ルールはない」と言うではないか!!
これには心底あきれ返ってしまった。幼児のうち
から何時間もゲーム漬けにして、何一つ良い
ことなどない。だいいち、ゲーム漬けの弊害を
訴える人が増えているのに、そんなことにも
興味がないのだろうか。

私が言いたいのは、育児中だからといって
楽しみを制限することもない、ということ(特に
日本ではベビーシッターが普及していないから、
親の苦労は大変な面も多い)。でも、だからと
言って全て大人の視点で決めてしまったり、
親の責任を放り出すのはとんでもない、とも思う。

稲垣さんのライブの時の「自己チュウママ」を
見ると、それこそライブの時にアーティストが
「お子さんのいる方、きちんと食事などの用意を
してきましたか」と聞かなくてはならなくなって
しまう。やれやれ。

思春期の子どもと関わるのは楽しい反面、こういった
「どう考えても通用しない論理(=屁理屈)」をふり
かざしてくる保護者と対応するのは、ほとほと疲れる。
しかも、そういった保護者は増えているし、子どもの
小学校卒業までに治らなかった屁理屈が、中学
以降で治るのはとてつもなく難しい。

もちろん、こちらもプロの端くれとして正面から向き
合ってサポートしたいし、子どもを親とは別の立場
から見守る者としての意見を投げかけたい。
でも、屁理屈を並べられては、いかんせん手の施し
ようがない、とさじを投げたくなることもある。

「子どもの立場に立って物事を考えてほしい」、
「子どもの気持ちを最優先に」といったことを幼稚園・
保育園段階、あるいはそれ以前から、行政の行なう
育児教室などで徹底させていかないと、もはや
まっとうな子育ては成り立たないのではないだろうか。

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