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2005/07/18

緑のやすらぎ 斑尾高原

blog050718


「まるで六文銭のように」ライブの翌日、
斑尾高原に行った。

実はライブに来る前夜、仕事を家でして
いて、非常に頭が重く、ガンガン叩かれている感じがし、
しかも悪寒まで感じた。首の脇のリンパ腺を触ると、
腫れている。体温計を取り出し、熱を測ると37℃を
越えている。
(よりによってこんな日に、なんで?!)

私には、この数年発熱した記憶がない。それなのに。
今までの疲れがドドッ、と出たのだろうか?とりあえず
薬を飲み、たくさん着込んでベッドにもぐる。

翌朝(つまり、長野へ行く日の朝)。
どうにか熱は下がっていた。でも、まだ体がだるく、
頭が重い。結局そのまま出発する。飯山市内に
着いた時も、薬局に寄って、風邪薬などを買い
込んでからホテルへ向かうありさまだった。こんな
状況で旅先にいるのは、少女の時に旅先でおなかを
こわして以来。

でも。7/16のblogで書いた通り、ホテルの玄関で
一面の緑の海を見て、まず「来て良かった!!」という
気分になり、おいしいお料理に舌鼓を打ち、そして、
すばらしいライブで心も癒された。

そして、食後飲んだ薬が良くきいたこと、旅先という
こともあり、家事をしなくてもいいことなどから、
ライブ後は温泉にのんびり浸かって、ぐっすり就寝。

だから、これらのことが全て良くはたらいて、翌朝は
気分爽快!!すっかり元気になっていた。

ホテルをチェックアウトした後、一路山を下る。目指す
のは地元のワイナリー

野尻湖の脇を抜け、緑豊かな田んぼの中を走り抜け、
1時間ほどかかってワイナリーへ到着。

「うわぁ!」
美しく咲き乱れる花々、豊かに伸びた木々。東京では
絶対見られない風景に、心動かされる。
お店の裏手には一面の芝生も広がる。私が「みどり」と
いう名前をペンネームにしたひとつの理由は、緑が
大好きだから。でも、都心にいると、公園くらいしか緑は
なく、しかも、野の草花が咲き乱れる光景にはまず
お目にかかれない。都会の人とは、こういう光景を見ない
ことで、心がいつしかすさんでいくのではないか。

お店に入り、ジャムやワインをチェックする。テーブルの
上に置いてあるパンフレットに何の気なしに手を伸ばし、
ぱらぱらめくる。そして、

「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。
人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまって
いるなら、そういう人は多くの実を結びます」(ヨハネ15:5)

この言葉に目が釘付けになる。

実はこの農場、もともとオーナーご夫妻がペンションを
始められた時、手作りのジャムが好評だったことに端を
発しているのだそうだ。そして、ワイナリー、教会と少し
ずつ作り上げていらしたのだという。お店は関東から
九州にまで支店を持つまでになり、また、オーナー
夫人が牧師の資格も取得され、今は教会で結婚式や
礼拝もしている、ともパンフレットにはある。

この「わたしはぶどうの木…」は、新約聖書の「ヨハネに
よる福音書」から引用されたものだが、キリスト教の
幼稚園に通っていた私にとっては、園長先生のお話で
よく聞いていた言葉。卒園の時に聖書に書いて
いただいた言葉でもある。

当然その頃は、意味など充分わかるはずもない。
「神様はなんでぶどうなの?」という思いばかりが
頭の中にあった。

ワイナリーだからこの言葉がパンフレットに載っている
のだろうが、それにしても、今回、久々にこの言葉が
私に迫ってきて、心をぐらぐらと揺さぶった。

「人がわたしにとどまり、わたしもその人の中に
とどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます」。

今の私は、こういう人であるだろうか。「まじめに授業を
受けると、力がつくよ」と言って日々授業をしている
つもりだけれど、果たして本当に力を与えてあげられて
いるのだろうか。そんな風にこの言葉は私に迫ってきた。
激しい自省、新たなやる気、さまざまな思いが胸を
交錯する。

ワインやジャムをぶら下げてお店を出る。そして、そばに
ある系列のレストランで昼食。眼下に広がるのは、ぶどう
畑と遠くの町並み。美しい光景に心安らぎ、おいしい
お野菜を頬張りながら、「また明日からがんばろう」と
いう思いと栄養が、体に満ち満ちる。

そして、昼食後は一路東京へと車を走らせた。川岸の
豊かな緑の千曲川にも、別れを告げる。

こうして、「安らぎの緑の長野路」の旅は、終わりを
告げた。思いもかけず、多くのエネルギーを受け
取った旅だった。行く前は、こんな旅になるとは
思ってもみなかった。緑の大地の持つパワー、
霊力なのだろうか。大地の豊かさが人にもたらす
力の偉大さを、改めてかみしめた。

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コメント

 ワインは人類誕生の前からあったと言われます。ぶどうの房が自らの重さで地上に落ち実が潰れる。中身の汁と皮についているぶどう酵母とで自然とワインになる。サルはそれを食べて酔っ払っていたであろうと。人類は進化の過程でワインを知っていた可能性が高いんですね。神様と関係が深いのは多分そういうことが関係しているのではと。そしてキリスト教布教の中で修道院でワインが造られるようになりそれがその土地に技術として受け継がれました。土地土地で様々な物語がありますね。体験話を読むだけで元気になります!

投稿: tzneyan | 2005/07/28 08:28

tzneyanさん、ワインの蘊蓄、
ありがとうございます。

>人類は進化の過程でワインを知っていた

なるほど、ワインというのは様々な面で
奥が深いのだと実感させられます。
だからこそ、人間には切っても切れない
ものなのかもしれませんね。

またおいしいワインのお話を聞かせて
下さるのを楽しみにしています!

投稿: つきのみどり | 2005/07/28 21:16

 私たちの「寺のまち野の花コンサート」にはるばるとお出かけくださいましてありがとうございました。
 寺の本堂でコンサートを開くことなどまだまだ珍しかったころ、寺の本堂で、小室さんの破格のご好意もあり、100人くらいな少人数で聞くことができるコンサートだということで、始まったコンサートです。主催しているのは108の会、108の煩悩と100人ほどの少人数をかけ「いちまるはち」の会と命名し、小室さんのコンサートを開いてきましたが、今年は18年目でした。今回は、小室さん、及川さんのホームページで見たと言って県外からの参加者も多く、地元での取り組みが甘くなっていることに比し、少々戸惑っています。でも、斑尾で泊まって頂いたり、「緑と、料理となによりすばらしいライブで心も癒された。」と言って頂きありがとうございました。私たちは、コンサートの後、恒例になっている「そば茂」という蕎麦屋で、小室さん、及川さん、四角さん、マネージャーの上田さんと打ち上げ会を遅くまでやり、大いに盛り上がりました。来年もお出で頂けるようでしたら、この打ち上げ会にもご一緒にどうですか。とりあえずありがとうございました。(108の会事務局常田正美)

投稿: 寺のまち野の花コンサートを聞く108の会 | 2005/08/07 12:20

108の会事務局の常田正美さま、
はじめまして。お優しいお誘い
ありがとうございました。

>108の会、108の煩悩と100人ほどの
>少人数をかけ「いちまるはち」の会と命名

「お寺だから、煩悩の数かな」とは
思っておりました。18年もこのような
会を続けていらしたことに、改めて
敬意とお礼を申し上げます。

18年、と言えば、生まれた子どもが
高校を卒業する年です。ちょっとや
そっとのお気持ちで続けられること
ではありません。

県外の者が多く行き過ぎるのは問題
だとは思うのですが、近隣地域の
方にも、もっと伝わると良いですよね。
もちろん、私も遠方ですが、できる
ことがありましたら何でも致しますね。
ではこれからもよろしくお願い致します!

投稿: つきのみどり | 2005/08/07 20:10

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2005.8.18                田中康夫知事のお膝元   長野のワインの力は    もう誰もが認めるところ。     山好きの僕にとって      この県の意味はとてつもなく大きい。       山があれば水は豊か。        美味しいそうな野菜や果物も         あちらこちらから存在をアピールしてくる。          ゆるやかな起伏がある土地で           良い葡萄ができるのも当たり前の事かもしれないが            その影に大変... [続きを読む]

受信: 2005/08/18 09:32

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