« 地方との経済格差 その2 | トップページ | 「教育カフェテリア」第9回更新 »

2005/08/08

立秋に思う

今年、2005年は、昨日の8/7が立秋だった。

二十四節気の中でも、この「立秋」は、今の日本
でも残っているもののひとつ。この日以後は、「暑中
お見舞い」を出したら笑われてしまう(「残暑お見舞い」に
なる)から、というのが大きい理由かもしれない。

太陽暦だとまだまだ暑いけれど、太陰暦なら、昨日から
「秋」。昔の人は、どんなに暑くても、秋のかすかな気配を
感じ取り、そっとしのび寄る秋の足音を楽しんだ。
「秋の訪れ」、というと、真っ先に私の頭にはこの2首の
和歌が浮かぶ。

「夏と秋と行きかふ空の通ひ路はかたへすずしき風や
吹くらむ」
(『古今集』夏・168 凡河内躬恒)

「秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ
おどろかれぬる」
(同・秋上・169 藤原敏行)

この2首は、『古今集』で、夏の終わりと秋の初めに
置かれている。夏の終わりの、凡河内躬恒(おおし
こうちの みつね)の歌は、「去り行く夏とやって来る秋
とが、行き違う空の通り道は、片側だけに涼しい風が
吹いているのだろうか」、という意味。

この和歌に出会って以来、立秋の頃は空を見上げて
「かたへ涼しき風や吹くらむ」と思い浮かべる。秋が
連れてくる風のほうだけ涼しい、という発想の繊細さ、
かつ、見事さに脱帽。

秋の初めの歌、「おどろく」、というのは、古典では
「はっと気づく」意味。「秋が来た、とは目にははっきり
見えないけれど、風の音で、秋なんだ、とはっと
気づいたんだ」。気温や天気ではなく、風の音で
秋の訪れに気づく。

平安時代の初め、1100年ほども前の人が、こんな
歌を残している。日本人とは、なんと繊細なんだろうか、
と改めて実感する。当時の貴族は家の中で主に生活
していたから、ということだけで済まされない、鋭い
感覚を見る思いがする。

現代人の秋と言えば、食欲の秋、運動の秋、と
いったところだろうか。ひょっとしたら、一番多いのは
「物思いの秋」かもしれない。
そして、それは800年前も同じだった。

「おしなべてものを思はぬ人にさへ心をつくる秋の初風」
(『新古今集』秋上・299 西行)

「一通りのことにもものを深く思わない人にも、物思いの
心をつくらせる、秋にはじめて吹く風よ」。さすが、鎌倉
時代の名歌人。西行は自然と心をからめた歌を
歌わせると、天下一品としか言いようがない。

こんな昔の人の残した「秋の訪れ」の和歌に触れ、
そして、ほんのちょっと吹く涼しい風、入道雲の夏空
から、秋の澄んだ空への変化を見る。都会にいても、
こんなところから、しのび寄る秋の足音を感じることが
できる。

夏の終わり、と言えば、稲垣潤一さんの「夏の
クラクション」、そして、秋の初め、と言えば、
オフコースの「秋の気配」。これらの名曲ももちろん
いいけれど、たまにはこんな和歌で、秋の訪れを
味わってみるのも、なかなか悪くない。

|

« 地方との経済格差 その2 | トップページ | 「教育カフェテリア」第9回更新 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/73691/5366853

この記事へのトラックバック一覧です: 立秋に思う:

« 地方との経済格差 その2 | トップページ | 「教育カフェテリア」第9回更新 »