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2006/03/04

教育での「メリハリ」の大切さ

去年の夏の甲子園、明徳義塾高校の直前での
出場辞退に続き、今年の春のセンバツでは、
駒大苫小牧高校の出場辞退と、なんとも
いたたまれない出来事が続いている。

明徳義塾高校のケースは現役部員だったものの、
今回の駒大苫小牧高校のケースは、卒業した
ばかりの3年生が、卒業式の後に喫煙と飲酒で
補導されたことが直接の原因。

甲子園に行くはずだった、現役部員は一切タッチ
していない。それを知ると、現役部員のショックの
大きさはどれほどだろうか、と私まで胸が痛い。

また、これとは全く別に、2003年7月、長崎県で
起きた、(当時)中学生の男子生徒が幼稚園児を
誘拐ののち殺害した事件について、被害者の
保護者が、加害者の男子生徒とその保護者に
損害賠償を請求し、認められた、というニュース
同じ日に伝えられた。

加害者の少年は、罪の重さだけでなく、賠償という
金銭の重さででも一生をかけて「自分のしでかした
ことの重大さ」を知るのだろう。

これらのことを通して改めて考えるのは、「悪いことを
したらどうなるのか、と子どもに大人が口うるさいほど
言わなくてはいけない」ということ。

昨年3/15に「犯罪へのハードル」という記事を書いた
時にもちょっと考えたのだけれど、たとえほんのいたずら心
からでも、悪いことをしたら、どういう結果が待っているのか、
ということを大人がきちんと説明していかなくてはならない。

駒大苫小牧高校の野球部の先生方も、恐らく生徒には、
口がすっぱくなるまで「悪いことをしたらどうなるか」言って
いらしたのだろう。ただ、人間とは、慣れるとゆるむように
できている生き物。だから、同じ人物に言われ続けると、
「あぁ、また始まった」くらいにしか思わなくなってしまう
かもしれない。

だから、子どもを取り巻く、保護者はもちろん、教員などの
多くの大人が「悪いことをしたらどうなるか」異口同音に
唱え続け、そして、「実際に悪いことをして、どういう結果が
待っていたか」というケースをあれこれ見せたり、体験を
した方の話を聞かせるなどの方法をとるしかないだろう。

そして、いっぽうで、良いことをした時、子どもが何かの
物事を上手にできた時など、どんな小さなことでも
「よくできたねー!」と言って、笑顔でほめることは
とても大事。
こうした毎日の小さな積み重ねが、子どもに大きな
自信をつけていく。

だから、どんなことでも、悪いことはその場で私は厳しく叱り、
良いことはきっちりほめるように心がけている。

今、生徒に教員の授業内容を評価させる、という動きが
あちこちで起こりつつある。それに伴って、自分の授業に
自信のない教員は、「生徒に悪い評価をつけられるのが
怖くて」、生徒を注意しなくなったり、試験問題を事前に
教えてしまう、といったケースが出るのではないか、と
いう恐れも出ている。

でも、良いことはほめられ、悪いことは叱られて、きちんと
育てられてきた生徒は知っている。「優しいだけの教員は
だめ」だということを。

先日も、私に、生徒が別の教員の話題を出して話しかけて
きたので、
「○○先生はお優しいでしょう」
そう私が言ったところ、
「先生は優しいだけじゃだめですよ」
という言葉が返ってきた(その教員が優しいのは私も風の
噂に聞いていたけれど、そこまで言う生徒がいるのには
驚いた。そして、同時に、その教員はきちんと注意など
しているのかという、心配さえ抱いた)。

メリハリなく育てられた子どもは、必ず「して良いことと
悪いこと」の区別がつかない大人になる。そういう大人が
増えれば、必ず社会はだめになる。

だから、子どもを取り巻く大人は、「良いことをした時は
しっかりほめ、悪いことをした時はビシッとその場で
厳しく叱る」ことを常に心がけなくてはならない。

私も、ほめられることもあった一方で、小さい頃から
とんでもないイタズラばかりする子だったので、
叱られてきたことは、浜の真砂(まさご)ほどもある。

駒大苫小牧高校の野球部の現役の生徒は、本当に
気の毒でならない。月並みだけれども、このことを
教訓にして「してはいけないこと」をしっかり理解できる
大人になってほしい。
そして、それはもちろん、事件を起こした卒業生にも
同じこと。

昨日3/3に伝えられた、このふたつのニュースは、
改めて私の信念を強くさせた。

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コメント

学生への教育とは観点が違ってしまうのですが、・・・・。

私は銀行に勤めていて、以前、小さな支店の支店長をしていました。「顧客満足度の向上」ということが言われていますが、若い行員に向かって、「お客様の視線で」などと繰り返し、繰り返し言うのですが、なかなか思うようになりません。
「いらっしゃいませ」の挨拶も、まともに出来ない。笑顔でお迎えしようといっても、田舎育ちの女子行員にはそれも出来ない。
しかし、その支店に着任以来、繰り返し、繰り返し、くどいように言い続けた。
そして、自分自身がお客様を迎えるときに、笑顔を絶やさないように気をつけたり、、ロビーの飾り付けを変えたり、店の前にプランターを置いたり、いろいろと工夫をした。その結果、次第にお客様から「最近店の雰囲気が変わってきたね。」などという評価をいただくようになった。
そして、女子行員たちも、だんだんと変わって行ってくれた。お客様を笑顔で迎えることが出来るようになってきた。私が支店を去るころには、全店でもCSトップクラスの店となった。

自慢話になってしまいましたが、学生に対しても一緒ですね。繰り返し、繰り返し、伝えること。そして、手本をみせること。一緒になって進むこと。
閑職となった今でも、自分なりに心がけています。

ただ、私の場合、自分の子供に対して教育が出来なかった。言い訳になるが、妻任せだった。子供からテレビゲームを取り上げることが出来なかった。
子供に対して申し訳ないと思っています。

中途半端なことを書いてしまいました。ごめんなさい。

投稿: 愛知県のとっつぁん | 2006/03/08 21:56

>愛知県のおとっつあんさん

こんばんは、またのお出ましと、
具体的な体験談をありがとう
ございます。


私は銀行で働いたことがないので
想像するしかないのですが、
地元で生まれ育ち、そのまま就職
した行員さんの立場に立てば、
もしかしたら「来る人の多くは
昔から知っている人、そんな
知り合いに"いらっしゃいませ"
なんて言う理由が分からない」
ということなのかな、と
思いました。


でも、就職すればあくまでも
「お客様」としてお迎えしなくては
なりませんよね。そのことに
気づくのに時間がかかったのかも
しれませんよね。


(近いうちに記事を書く予定
なのですが、人間は大人になると
つい今までの経験から、思い込みで
判断をして発言したりしますよね。
でも、その判断がいつも正しいとは
限らないわけですよね。
そういった種類のことなのかな、と
思いました)


でも、人間とは進歩できる生き物、
私も自分自身に研鑽と進歩を日々
言い聞かせて生きているつもりです。
多くの方との出会いや、この
ブログなどでの交流でもまた
進歩のチャンスをいただけて、
それが私の新たな生きる励みに
なっています。


かつての部下の皆さんも、
成長ができてきっと良かったと
思われているのではないでしょうか。


さて、お子さんの件ですが、ご自分で
気づかれて、変わっていくことが
できれば、それで良いのでは
ないでしょうか?
(僭越で失礼します)


だから、今からでも遅くないですよ!
プロの方の手をご遠慮なく
親子で借りつつ、進まれて
いかれますように。

長々失礼しました。
また良かったらおいで下さいね。

投稿: つきのみどり | 2006/03/09 00:06

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