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2006/11/20

伯父の思い出 誇り高き教員

先日、伯父がこの世を去った。

伯父は長いこと小学校に勤務し、最後は
校長まで務めた人物だった。

私の人生で、最初に伯父の存在や仕事ぶりを
実感したのは、小学生の時だった。

私は小学生の時、一度転校をしている。母が、
伯父に転校先の小学校の名を告げると、こう
言われたという。
「転校先の教頭先生はね、僕の昔の教え子だよ」

登校初日。教頭先生が「こんにちは」と、あたたかく
笑顔で迎えて下さった。伯父から話を聞いた、と、
笑顔で母に話しかけている。伯父は、早速教頭
先生に連絡をしてくれたらしい。

「みどりさんはね、○組になりますよ」
「教頭先生は、伯父さんの昔の教え子ですよ」そう
母から聞いていた私は、あまり緊張してはいなかった。
それでも、教頭先生のお優しい笑顔に、固くなっていた
心がほぐれていった。

この伯父は、私が小学生の時、私の住む地域で、
校長として勤務していた。その地域で、当時、各
小学校の6年生が集められ、運動会をする、という
イベントがあった。運動会の時には気づかなかった
けれど、帰りに、私は伯父の姿を遠くから見つけた。

周りの友人たちに、
「あそこにいる校長先生ね、私の伯父さんなんだよ」
そう告げた。男の子たちが口々に、
「ホントかよ、おーい、校長先生!」と呼ぼうとする。
「やめてよ、恥ずかしいでしょ!」
伯父は気づかなかったようだった。でも、私の目には、
優しそうな伯父の姿がはっきり見えた。

それからだいぶ成長してから、こんな話を母がして
くれたことがある。伯父は校長として在職中、
夏休みにも家族旅行に行くことはなかったのだ
そうだ。伯母と子ども(私のいとこ)には「行って
らっしゃい」と言い、家で留守番をしていたのだ、
という。

伯父は、「学校や子どもたちに何か起こった時、
いくら夏休みでも、校長がいなかったら良くない
から」と考えていたそうだ。

そんな伯父は定年後、しばらく、教育委員会で
仕事をしたりしていた。合間には家庭菜園などで
土いじりも楽しんでいた。

だが、寄る年波には勝てず、だんだん足腰が
弱ってくる。母は、伯母から愚痴をよく聞かされた。
「近くの薬局にいらしたら。いい薬があるわ」
そうすると、伯母は決まってこういう返事をした。
「そんなの近くに買いに行けないわ。だって、
周りは教え子さんばっかりよ」

伯母も教員を退職したのち、自宅で塾を開くなど
していた。だから、ちょっと出歩くとすぐ、元教え子
さんに会うし、どこで見られているかわからないのだ、
と言う。
「だから、そんなみっともないことできないわよ」
伯母の返事は決まっていた。

こうなると、朝からふたりで日がな家にいて、じっと
している、ということになる。用事があって出かけると、
歩くのにも時間がかかる。
母が数年前、入院した際にお見舞いに来てくれたの
だが、その際、私は驚いた。
(ずいぶん弱られたんだなぁ…)

(年を取ると、出歩かないと、急速に足腰が悪くなる)
私は、厳しくも悲しい現実を、目の前につきつけられた。

その伯父が病気で入院したのは、今年の夏。最初、
入院の報せを受け取った時、
(どこまで快復できるのだろうか。歩けるようになる
だろうか)
義父と比べ、すぐ思った。

(この冬を越せるのだろうか。もしかしたら退院しても、
老人保健施設行きかもしれない)
いろいろな思いが、私の頭を駆け抜けた。

医療スタッフのご尽力もあり、伯父はかなり快復した。
ベッドから起き上がれるようになったものの、歩くことは
難しいらしい。介護保険のサービスを受ける判定も
受けていた。そして、退院後は、施設に行くための
準備が進められていた。

そんな中、急に具合が悪くなった、という報せが入る。
急に冷え込んできたのがこたえたのだろうか。
「伯父さんに、体力が残っていれば良くなるよ」
「そうよね」
母と電話で夜、こんな会話をした。

(だから、体力が残っているかどうか、なのよ)
電話を切り、私は自分に、もう一度言い聞かせた。

しかし、翌朝、仕事に行く直前、私は悲しい報せを
受け取った。
通勤電車の中、不意に、涙がこみあげそうになった。
平静に仕事ができるのだろうか、そんなことも思った。
その時、こんな声が不意に聞こえた。

(子どもたちが待ってますよ。しっかり仕事をするんです)
それが、伯父の教えなのだろうと、自分に言い聞かせ
ながら、仕事に向かった。

通夜にも告別式にも、多くの方が来て下さった。転校の
時にお世話になった先生も、お見えになっていた。
ご挨拶をする。

「そうでしたか…伯父さん…先生は、教師になられて
最初の年に私たちを教えて下さったんです。当時は
戦争中で、男の先生がどんどんいなくなり、代用
教員で来て下さったのが最初だったんですよね。
子ども心に、怖い先生が多かった中で、とても
お優しい先生だったと感じました」

「私が教員になってからも、先生はお優しく、職場で
もめごとが起きると、うまく皆を立てながら解決して
いましたので、教えられることが多かったです」

告別式が終わり、伯母がこんな話をしてくれた。
「意識がなくなる前に、と思ってね、ある時、私、
言ったの。『お父さんと結婚して、いろいろあった
けれど、私、一緒に過ごせて幸せだったわ、
どうもありがとう』ってね。そうしたら、強く手を
握りかえして、うなずいてくれたの。私、ちゃんと
言えて良かった」

伯母は、こうも続けた。
「生まれ変わったら、何をしたいかしらね、って
聞いたことがあるの。そうしたら、こう言ったわ。
『また小学校の先生をしたい』って」
私の横で、父も母も、静かに伯母の言葉を聞いていた。

伯父は、まじめに、そして、誇りと愛着を持って、
教員の仕事をしていたのだ。改めてそのことに
私は気づかされた。あまりにも誇り高いために、
つらいこともあったかもしれない。でも、伯父は
この仕事を心から愛していた。そして、妻や
子どもたちを大事に思い、その幸せを考えていた。

伯母の横にいる両親を見て、改めて考えた。
「ふたりが結婚生活を長年続けてよかった、と、
思ってもらえるように、娘として努力しなくては
いけない」と。

また、教育に携わる者として、伯父の立派だった
ところを見習わなくてはならない。
そう、だから、私にはやらなくてはならないことが、
まだまだ、たくさんある。

(伯父さん、今までありがとうございました。
伯父さんが教えてくれた、さまざまのことを胸に
忘れずに、強く、そして、優しく私は生きていきます)

黄泉の国へ旅立つ伯父に、私は心の中でそう
呼びかけた。

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コメント

伯父様の生き方は、真摯でとても立派と思います。そして尊敬の念を持って自己をきちんと見つめる、つきのみどりさんもまた立派です。
人の生き方についてあらためて考えた次第です。

投稿: トムノグ | 2006/11/21 12:02

 僕も小学校の時の先生の思い出が強烈に残っています。金沢嘉市さんという校長先生でした。坂本龍一君と同じ学校だったので, 先日会った時に先生の話をしたところ, とてもハッキリ覚えてると言っていました。言葉と行動でしっかりとみせてくれる先生でした。おじさまの話を読ませて頂き, 懐かしく思い出しました。
ご冥福をお祈りします。

投稿: tzneyan | 2006/11/21 15:08

>トムノグさん


コメントありがとうございました。
伯父は教員として人生を全うしたのだと
改めて感じました。


どんな人にも、この世に生まれてきた
からには、ミッション(使命)がある、
というのが私のポリシーです。


伯父とは違う形になるかもしれませんが、
私も、私なりのミッションを
しっかりとやり遂げたいです。

投稿: つきのみどり | 2006/11/21 22:41

>tzneyanさん


ご丁寧で、あたたかなお言葉、
ありがとうございました。


>言葉と行動でしっかりとみせてくれる
>先生でした。


小学校の教員には、特にこのような
要素が強く求められるかもしれませんね。
金沢先生の思い出話、ありがとう
ございました。

投稿: つきのみどり | 2006/11/21 22:43

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