« 身近なハッピー!のヒント Vol.2 「どうせ…」、追放! | トップページ | 身近なハッピー!のヒント Vol.3 「縁」を大事に »

2008/06/11

秋葉原無差別殺傷事件に思う 自己を過信する子どもにしないために

東京・秋葉原で6/8に起こった、無差別殺傷事件。

いまや、世界中から観光客が訪れる「アキバ」での、
歩行者天国でにぎわう、日曜の犯行。第一報を
聞いた時、目と耳を疑い、胸がつぶれるほどだった。
亡くなられた方と、お怪我に遭われた方の
ご関係者に、心からお見舞いを申し上げたい。

事件の背景などの分析は今後進んでいくの
だろうが、私が気になっているのが、容疑者に
ついて、
「中学生までは優等生だった」、「出身県下でも
有数の高校に進学後は、特に問題も、目立つ
こともなかった」

という話が出ていること。

このような事件まで至らなくても、実は、似たケースは、
よくある。

中学までは地元の限られた同年齢の者の中で
過ごしていて、自他共に「能力がある」と
認められている人も、高校に進学すれば、
広い範囲から生徒が集まるから、優秀で
いられるとは限らない。難関国立・私立中学に
進学した場合などにも、このようなことは起こる。

その中で自分なりに「今までは狭い世界に
いたからだ」、「これからまたがんばっていこう」と
思えたり、納得していければ良いのだけれど、
そう気づかなかったりすると、たとえば、「自分は
こんなに優秀なのに、認めてくれない世間が悪い」
などとなってしまう。

高校は3年間しかないから、「認めてくれない」と
くすぶっているうちに、進学先を決めねばならない。
「自分は、本当はこんな人生を送るはずではない」と
思いながら過ごす生活が、充実したものになるだろうか?

「つきのみどりの教育カフェテリア」で、・
第18回「評価について」を書いた
ことがある。自分をおとしめる必要はないけれど、
過大に評価し過ぎて、「自分の真の実力」が
見えなくなってしまっては、大変なことになる。

このような事件が起こるたび、また、授業で
『山月記』を教えるたびに、いつも思う。
「『山月記』の李徴(りちょう)を出すような教育を
してはならない」
と。

中島敦が『山月記』で描く李徴は、自分を過大に
評価し過ぎるあまり、人と交流ができず、「臆病な
羞恥心と、尊大な自尊心」のせいで、虎になって
しまった。自分の才能を半分信じているからこそ、
人と交わって、つらい努力をすることも嫌がり、
また、人と交わって、才能がないと発覚するのが
怖かった、李徴。

60年ほど前の作品だけれど、現代人にも重要な
意味を持って、この『山月記』は存在している、
私にはそう思えてならない。

このような凶悪事件の再発防止には、法律関係者
など、それぞれのお立場で実行すべきことがある
だろう。教育に携わる者にできることは、「自己を
過大評価する子どもにしない」ことが、まず、大事
ではないだろうか。

このような事件で不安を抱いていらっしゃる方が、
もしもいらしたら、メールを下さったら対応させて
いただきたい。

また、過去に、「つきのみどりの教育カフェテリア」で、
第27回「子どもにとって効果的な叱り方」
第28回「子どもにとって効果的なほめ方」
書いている。併せてご覧いただけたらありがたい。

今はシステムの都合で消えているが、
「教育カフェテリア」第18回で「評価について」を
掲載した時、「自分も盲目的にほめられて育ち、
苦労した」という方のコメントをいただいたのが、
忘れられない。

このような事件の再発防止のため、私は、
自分にできることを地道でも取り組んでいきたい。

|

« 身近なハッピー!のヒント Vol.2 「どうせ…」、追放! | トップページ | 身近なハッピー!のヒント Vol.3 「縁」を大事に »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/73691/41497340

この記事へのトラックバック一覧です: 秋葉原無差別殺傷事件に思う 自己を過信する子どもにしないために:

« 身近なハッピー!のヒント Vol.2 「どうせ…」、追放! | トップページ | 身近なハッピー!のヒント Vol.3 「縁」を大事に »