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2015/02/15

稲垣潤一さん「叩き語り ハコバン'70Sライブ 2015」あの頃見えなかったもの、今、見えるもの

稲垣潤一さんの「叩き語り ハコバン'70Sライブ 2015」が、
ザ・プリンスパークタワー東京で行なわれた。

Blog150215

おととし、『ハコバン'70s』を刊行なさった(2013/12/21記事
あと、当時歌っていた曲だけで構成したライブを何度か
開かれた。通常のライブも含め、都合が合わなかったりして、
なんと10ヶ月もの間、私は稲垣さんのライブに足を運んで
いなかったことに気づく。

でも、その間も、もちろんファンをやめていたわけではない。
稲垣さんの曲は生活の中にあった。また、多くの方がblogの
過去の記事を検索して見てくださったことにも気づいていた。
この場で改めて、お礼を申し上げたい。

念願のハコバンライブ、そして、久々の稲垣さんの生の歌と
演奏が堪能できる期待に胸を高鳴らせ、祝日の芝公園へと
足を運んだ。

この日は2ステージあり、私が見たのは第2部。2部開演前に
既にグッズは売り切れ、2部に並ぶ方だけでなく、1部を見て
帰る方と2部を見る方のおしゃべりが、そこかしこで聞こえる。
ご遠方からだろうか、関西弁も耳に入る。ロビーを通り抜けた
奥にある、メロディーラインというイベントホールで
ライブは開かれた。

椅子が80脚ほど並べられた客席。ミネラルウォーターを
いただき、思い思いに席に座る。ステージでは、グランド
ピアノ、ギター、ベース、そして、ドラムセットが開演を
待っていた。

BGMは昭和歌謡、ただし、当時、生まれる前(か、生まれて
間もない)私の知るメガヒットではない。声は聞いたことが
ある方の曲、と思いつつ、開演を待つ。今日は知らない曲も
多いだろう、という思いはどんどん強くなり、期待と共に、
普段のライブとは違う緊張感が次第に私を包んでいく。
(早く始まらないかなぁ…)

19:02、サントリィさんがピアノの演奏を始められ、続いて
メンバーが入場。皆さんお揃いの、今日のため作られた
Tシャツをご着用。
客席左手、スクリーンには、大阪万博や懐かしいドラマの
映像が映し出される。

1. Stories “Brother Louie” 1973
2. CCR “Proud Mary” 1969
3. Stevie Wonder “Isn’t She Lovely”1976
4. Elton John “Your Song” 1970

手拍子をしたりして、思い思いに盛り上がる客席。
ここで最初のMC。私は3、4曲目で、耳なじみのある曲が
出てきて、少し緊張がほぐれる。

稲垣さん、早速メンバー紹介をなさる。

坂本サントリィ洋さん(Pf&Key)
稲葉智さん(g)
関雅夫さん(b)
・稲垣さん(dr)

そして、映像と進行として、東野ひろあきさん
東野さんはスクリーン近くに座り、曲の紹介などで
PCを操作しつつ、スクリーンに映像を出して解説
なさっていく。

「Storiesはいわゆる一発屋のバンドで、これが全米No.1
ヒットなのに、他に大したヒット曲がなかったんですよね…
でも、Elton Johnの“Your Song”、邦題は『僕の歌は
君の歌』ですが、これ、1位取っていないんですよ」
意外な事実に、一同、驚く。

(ちなみに、Storiesはニューヨークのバンドで、
“Brother Louie”は、イギリスのバンドHot Chocolateの
カバー。そんなところも一発屋たるゆえんなのかもしれない。
“Your Song”は、イギリスで最高7位、全米では8位。
発売当時の瞬発力が大きくなくても、心の琴線に触れる
名曲は残り続ける、ということか)

このメンバーでのライブも回を重ね、リラックスした
雰囲気でやり取りが続く。東野さんの解説、
「当時の日本のヒット曲ですが…『また逢う日まで』、
『喝采』、『旅の宿』、『傘がない』…」

ところが、それに対して稲垣さん、
「ぜんぜん覚えていないんですよね…」

「ハコバン生活を送っていると、夜テレビを見る習慣が
なくなる」(『ハコバン'70s』p.97)ということだったのだろうし、
稲垣さんや周囲のバンドマンの目と耳は、海の向こうに
注目していた、ということでもあるのだろう。

話は尽きないが、ライブに戻る。

5. Stuff “How Long Will It Last” 1974
6. Pablo Beltrán Ruíz“¿Quién será?” 1953
7. Duke Elington “C Jam Blues” 1942
8. Herbie Mann “Coming Home Baby” 1962

この4曲はインスト。“C Jam Blues”と、
“Coming Home Baby”は、メドレーで。
「” How Long Will It Last”は、ディスコの
オープニングでよく演奏しました…”¿Quién será?”は、
ラテンです。ソシアルダンスを踊る方がいたので。
そして、“C Jam Blues”と“Coming Home Baby”は、
メンバー交代の曲で…演奏しながら、次の
バンドと交代していくんですね」

ドラム交代、と聞き、稲垣さんのライブでも
そういうシーンがあったことが脳裏をよぎった。

帰宅して調べたら、2008年の夏だった
2008/07/27記事)。ただし、その時は
稲垣さん用と、サポートの鎌田清さん用、2台の
ドラムが並んでいた。ハコバンの時は、
もちろん1台。いくらプロだって、至難の技の
ひとつだろう。

驚いたのは、今回のサポートの皆さんが、その日
演奏なさっていたこと!皆さん、覚えていらっしゃる
だろうか。

長年のファンにとってはおなじみ、初めてドラム
セットを買った時の話も出る。
「ドラムセットのカッコ良さに憧れたんです」。

続いて、稲垣さんは、ビートルズナンバーを演奏されると
言われる。
「ハコバンライブでは、演奏するの初めてなんです」
(意外…)

ジョン・レノンのヴォーカルが好きだった、とも話される。
(「Dear John」という曲がアルバム「Personally」に
収められていることも、長年のファンにはおなじみ)

9. The Beatles “You’ve Got To Hide Your Love Away” 1965
10. The Beatles “It’s Only Love” 1965
11. The Beatles “The Night Before” 1965

3曲は全て、アルバム「Help!」から。曲によって、サントリィさんは
アコギを使用されたり、お忙しい。再び、東野さんの解説。
「“You’ve Got To Hide Your Love Away”は、邦題が
『悲しみはぶっとばせ』です」
(当時の邦題には、センスあるものも多い)
英語のままの題が珍しくなくなったからこそ、邦題の良さが
際立つと感じる時がある。

盛り上がったまま、ライブは早くも終盤に突入。

12. The Doobie Brothers “Long Train Runnin’”  1973
13. Bobb Hebb “Sunny” 1966

(嬉しい!)
“Long Train Runnin’”は、聞きたかった。何度かライブで
歌われたこともある、“Sunny”は、テンポがかなり速め。

「続いてラストの曲です…最後はオリジナルを…自分で
書いた曲です。これ、当時のバンドでレコーディング
していて、サントリィもいました」
頷かれるサントリィさん。
(TOPICSのアレンジ…)

14. 「だけど悲しくて」 1987
(そういうことなのね…)
本編ラストのこの曲で、稲垣さんがハコバンライブに
かける思いを感じた。いつもと違う、なじみの少ない曲の
多かったライブでの緊張感がするするとほどけていき、
すっきりとした、そして、穏やかな気持ちが私を包んだ。

いったんステージから退場なさった皆さん、再びすぐ戻り、
アンコールに応えてくださる。

「ロングイヤーズアフターというバンドで演奏していた時、
ヴォーカルの方が歌っていた曲でした…いつか歌いたいと
思っていました」
Ec 1. Ray Charles “Unchain My Heart” 1962

20:35、こうして、全曲「叩き語り」のライブは幕を閉じた。

ライブに行く前から、その前の週に聞いた、NHK
ラジオ深夜便
でのグッチ裕三さんのお話がずっと
心に残っていた。グッチさんは稲垣さんと同世代、
高校卒業後、バンド活動で歌い続け、下積み生活が
長い…と、稲垣さんと似た経歴をいくつかお持ち。

その、グッチさんがバンド生活を振り返り、放送で
語られたこと。
「僕たちの時代は、バンドは、レコードの代わり
なんです…最大の褒め言葉というのは、『お前ら、
うまいなあ、レコードみたいだよ』…これがどのくらい
嬉しかったか」
(2015/02/04放送「ミッドナイトトーク」前半で聞ける)

ただ、グッチさんと稲垣さんの決定的な相違点、
それは、声。稲垣さんが歌えば、誰のものまねにも
ならない独特の、圧倒的な存在感を放つ。演奏の
巧みさを目指した点では同じでも、「演奏も歌も
同じように」のグッチさんと、「演奏は同じ、でも、
歌は決してものまねになりえない」稲垣さんの
分岐点は、声だった。

その後お二人は、それぞれに道を究められた。
ものまねのチャンピオンとして知られるようになった
グッチさんと、ソロ歌手として成功なさった稲垣さん。
お二人の原点は、バンド時代の、ある意味「毎日が
公演」に向けての、クオリティの高い演奏のための
必死の練習だったのだろうということを思いつつ、
ライブを見ていた。

そして、帰宅してすぐ、アルバム「Mind Note」を出し、
「だけど悲しくて」の歌詞を見る。作詞作曲、どちらも
稲垣さん。スーパースターの果てしなく遠い背中、
きらびやかにしか見えない姿。でも、芸能界に
足を踏み入れ、スターとなった自分もいつしか、
スターにしか分からない悲しみを知ってしまう。

ハコバンで日々演奏し、歌われていた頃の
稲垣さんに思いを馳せる。日々歌うこと、生きることに
懸命で、プロになる日が来るなんて、思いも
よらない時期も長くおありだったのではないか。

でも、プロデビューし、ヒットチャートに登場する
ようになり、また、NHK紅白歌合戦に出場なさる
など、いざスターとなってみると、アマチュア時代には
決して感じることのなかったプレッシャーなどを
感じられることもあっただろう。ヒット曲を
歌われた方にしか分からない、嬉しさと
苦しさのない交ぜになった感情なのかもしれない。

(あの当時見えなかったことが、現在見え、また、
分かるからこそ、稲垣さんは、ご自身の過去が
愛おしいし、また、伝えたいと思うことがおありになる…)
単なる懐かしさや、昔の努力を誇りたい、という
気持ちとも違うのだろう。

ライブの曲目と、今までのファンクラブ会報の
ハコバンライブの記事を見比べると、曲目が
毎回まったく同じではないと分かる。

それだけ当時の引き出しが多かった、といえば
それまでだが、40年近くの時が流れ、再び人前で
(しかも今度は、スターとして)演奏なさるのだから、
きっちりと練習なさっていることは間違いない。

改めてその姿勢に敬意を表したい。そして、丁寧に
記事を書いてくださった、FC会報のご担当の
皆さんにもお礼を申し上げたい。

この私の記事と、『ハコバン'70s』で、多くの方に、
ライブに足を運んでいただくきっかけになれば、嬉しい。

『ハコバン'70s』の続編、「東京編」が今年、出版予定と
いう嬉しいお話もなさっていた、稲垣さん。これも、
「ハコバン」への思いのひとつの表れなのだろう。

(オリジナル、カバー曲のデュエット、スタンダードを
日本語で、そして、ハコバン…。尽きることなき
チャレンジャー魂、ファンとして見習い、頑張ります!!)
ライブの夜。前向きな、明るい気持ちで、眠りについた。

改めて、稲垣さん、ご出演とご関係の皆さんに
感謝を込めて、この記事を結びたい。

【追記】
今回の稲垣さんライブ観覧記事、基本的に
オリジナル曲ではないので、いつもと少し
趣向を変え、オリジナルの歌手(作者)と
題名が分かりやすいように書いてみました。

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