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2016/03/11

2016年3月11日 これからも、寄り添う気持ちで

あの日から、5年が経った。

あの日私は、自宅で採点などをしていた。
出勤しても良かったのだけれど、花粉症
持ちの私は、
(家で採点して、午後耳鼻科に行こう)
と、朝、決めた。
これが、私のその後の人生を決める判断になった。

午後2時46分。ラジオを聞きつつ身支度をしていたところ、
突然の揺れに見舞われてびっくりした。揺れはなかなか
収まらない。ラジオのアナウンサーの声も、
「落ち着いて行動してください」と、通常とは明らかに
違う、非常事態を思わせる様子になっていた。
そうするうちに、宮城県内で震度7と速報が入り、
驚愕したと同時に、
(ただならぬことになる)
全身に緊張が走ったのを覚えている。

揺れが収まると同時に、実家の母に電話。運良く、すぐ
つながり、無事を確認できた(その後すぐに、つながり
にくくなってしまったらしい。外出中だった父が、母と
連絡をとれたのは、18時頃だった気がする)。

基本的に平日の昼間は(勤務時間帯なので)tweet
しない。でも、この非常事態にそんなことは言って
いられない。大津波警報発令、余震も起き、緊張の
途切れないまま1時間近く過ごした。

1時間後、ようやく、耳鼻科に行こう、という気持ちになる。
余震を考え、揺れが来た時に転倒したら怖いと思い、
自転車をやめ、徒歩で向かう。かかりつけの医院は、
徒歩圏内にあった。

医院の近く、最寄駅近くまで来て、見たことのない光景に、
絶句する。電車の運行が止まり、人が路上に多く
出されている。行き場なく、携帯電話やスマホ片手に
情報を探す人々。
(…電車動かないと、この人たち、どうなるの?)
医院にあまり人はおらず、報道で知った情報を伝えて、
元来た道を通って帰宅。もちろんその時点でまだ、
電車の運行は再開されていない。

私はラジオを出したまま、twitterで流れてくる情報、
新聞社のサイトなどを見て、情報を流し続けた。さっき
駅で見かけた方たちを思い浮かべ、少しでも、誰かの
役に立てれば、と思いながら。

途中、web連載をしている、ロゼッタストーンの社長・
弘中さんとメールでやり取りをしたことも覚えている。
「twitterで頑張っていらっしゃいますね」
と言われ、
「家にいたのですから、当然です」
といった内容の返信をしたように思う。

勤務先からは、部活動で登校していた生徒たちの
安否を知らせるメールが、次々に飛び込んでくる。
知っている人、知らない人たちの無事を祈りながら、
深夜までパソコンの前に、文字通り張り付いた。
ひたすらつぶやき続け、ぐったり疲れ、眠りについた。

翌朝。女性の安全を思い、一晩過ごせる避難場所の
情報を探して出し続けた私に、感謝のメッセージが
届いた。無事に一晩、(避難場所として開放された)
都立高校で過ごせました、と。

見ず知らずの方の安全を守れたことで、心底ほっと
したことを覚えている。同時に、
(困っている方のお役に立てる人になろう)
という思いが、はっきりと出てきたことも。

その前の年、2010年の3月。正式に離婚が成立し、私は
独身に戻っていた。更にその前年の2009年、特に
秋から翌年の3月までは、今振り返っても、自分を
取り巻くどこを見ても暗黒としか思えないような
生活だった。思いを書きたくても、デリケートな、
進行中の案件をblogに書けるはずもなく、つらい日々
だった。

でも、そのような中で、多くのお励ましをいただいた。
それはまさに、現実世界と私をつなぐ希望の糸であり、
「遠い先のことはわからなくても、明日元気に
生きられればいい」と、思わせてくれる存在だった。

2010年7月くらいから、少し落ち着き、周囲を見る
余裕が出てきた。そして、「誰か、これを読んで
笑顔になってくれる人がいれば」という思いで、
毎朝最初と、夜の最終tweetを、少しずつ固定化
させていった。11月には、ほぼ今の形になっている。

(ちなみにtwitterそのものは、2009年の11月に始めた。
twitterと聞いても、最初は始めるつもりなど、
これっぽっちもなかった。しかし、長年ファンの
稲垣潤一さんアカウントを取得なさったと聞き、
稲垣さんに呼びかけたい!と始めた。なんとも
ミーハーな理由が、私の背中をぽん、と押した)

5年前の3.11と、翌日の自分のつぶやきを見ると、
間違った情報をいったん信じ、その後訂正した、と
いうこともあった。デマを信じない、拡散させない
ようにする、というのは、私はもちろん、SNS社会で
生きる人々すべての課題でもある。これは忘れては
ならないし、改善させねばならない。

そして、自分らしく、前向きな、そして、他人を不快に、
不幸にさせない発信をしていくことも大事だろう。

私の場合、一人でも多くの方の心に寄り添えるように。
被災地の皆さんはもちろん、困ったり、悩んだり
している方に。寄り添う気持ちを忘れず、希望の
灯りとなれるような発信を続けたい。それはwebを
通じてのことだけではなく、友人、知人や親族、
教え子たちに接する時も、同じこと。

「励まされて良かったです」
異口同音に言ってくれる教え子たちの笑顔は、私の
宝物。そうい言葉を受け取れることが、何より、嬉しい。

そんな嬉しさを胸に、あの日と同じ金曜日、
5年目の日に、改めて決意する。
これからも、寄り添う気持ちを忘れずに生きていこう、と。


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